孤独

民主主義とは多数決というのが楽かも知れないが少し違う。
俺が変人かどうかを決めるのは回りであって俺ではないのだ。
しかしそう考えてみると真理ってなんなのかなとも思える。
もしも流石という漢字をさすがと読めない人間が過半数を超えたらそれはさすがではなくなるのだろうか。
よく考えたらそれは現実的には正しい。
ゴキブリの語源が御器被りの誤表記なんて知ってる人間のほうが少ない。
しかし国語の先生に言わせれば「ながれいし」は誤読で「ゴキブリ」はあってるのね・・・。
正直真理が大衆によって決まるのなら真理は全く論理的ではない。
民主主義の矛盾かもしれないが正しいかもしれない。
しかしそれはおいといてもid:lough-makerの悩みには首を傾げる。
ストレートにいうと君は大衆の真理で自己肯定してもらいたいのかと。
俺としてはヲタクと大衆真理で言われてもなんの苦痛もない。
何故なら大衆真理とはヲタクといってみるがヲタクの定義も出来ないからだ。
そんな不安定な真理(といえるかも危ういが)は信用ならない。
やはり真理は絶対的論理思考に基づくべきだ。
絶対真理に基づけばヲタク趣味に問題は全くないはずだ。
だからヲタクであることに悩む必要はない、と俺は思う。