考える人

考えることがあった。攻殻機動隊の中のエピソードにあったものだが。
「俺は本当にここに存在しているのか?もしかしたら何処かのプログラムに過ぎないのじゃないか」と。
俺は自分の脳みそなんか見たこと無い。ただ、周囲の状況からして自分の頭の中に自分の脳みそがあると把握しているだけだ。
まず生物に関しての詳しい知識があるわけでもないのだから内臓の構造が生物の本に書いてあるようなものかも知らない。
別に俺は手術を見たこともなければそういうのが体から出るほど怪我している人間も見たことが無い。
もしかすると「新型人工知能の性能を試すための疑似体験」のようなものかもしれない。
ゴーストなんていう物の存在しない、ただの不完全なまがい物に過ぎないのかもしれない。
そもそもまず人間はロボットと人間を何処でわけているのだろうか。
それはロボット=不完全なもの、入力されたものしか出来ないもの、と言うような定義で成り立っていると思う。
しかし赤ん坊は生まれてきた時は同じように言われたことしか出来ない。だが彼らには「人権」というものがある。
この差は何なのだろうか。一つ思いついたのは進化ということだ。
赤ん坊は入力されたものから学習して次々と思考を広げて行くことが出来る。だから人として存在出来るのだろう。
しかし考えてみればロボットだって入力されたことを応用させることが出来る。ではなにが問題なのだろうか。
自分として一番良い答えだと思ったのは「無から何かを生み出せるか」だと思った。
赤ん坊は最初は真っ白な何も無い状態から始まる。そしてその後にどんどん上書きされていくわけだ。
ロボットというものは入力された情報を元からあるプログラムにかけ、そして吟味し、論理思考を重ねる。
つまりロボットは基盤があり、そしてそこから進化するという意味で人間より劣っていると言える訳だ。
だが、またこの意見も矛盾しているかもしれないと思う。
人間は無から、と言ったが多分人間の情報というものは「五感」によって形成されるのだと思う。
あまりこのようなことは言いたくないが身体障害者知的障害者が多いものそのせいではないだろうか。
つまり人間も「五感」という基盤の上に乗っかっただけのもの、といえるのじゃないか。
エヴァンゲリオンの話になるが使徒はS2機関と呼ばれる無限機関を持っていた。
無から何かを生み出す、その能力があれば人間は完全な生命体といえるだろう。
しかし我々の暮らしている世界ではそのようなものは存在しない。
だからなにを持って「ロボットを自分より劣った存在」と見れるのだろうか。
自分たちの想像の領域を遥かに超えた何かに作られただけのプログラムかもしれないじゃないか。
プログラムが自分は生命体だと名乗り、新しいプログラムを作り、それらを下等な物と呼称する。
こう考えてみると全く人間という物の意味がわからなくなった。もうなにがなんやら。